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つづき
昨日のつづきのようなもの

議論の余地がないとは、こういうことなのかと思う。
客観視という言葉を忘れる。
いやなものは嫌だ。どうしてもしたくないと思うことは、どう考えてもやっぱりしたくない。こうやって嫌だいやだと言い続けていると、そこまで言い続けなくてもいいんではないか、やってさえしまえば後はどうでもいいではないか、こだわるなよ、という心持ちがしないでもない。けれど、この過程は以前に何度か通過したものなのである。やってさえしまえば確かに実際どうってことはない。が、それがどんどん積み重なって再び自分の負担になってくると、その反動は指数関数的に増加して、嫌だと思う意思がこれ以上なく強くなってくる。
その状況では当然、その嫌なことはできていないわけで、嫌だと僕がおもう"そのこと"をお前やってないじゃないか、と社会的に抑圧されると、もはやこれらの葛藤をコントロールすることは不可能に近くなってくるわけです。 それでもどうにか残っている社会性で今回は切り抜けたのだけど、もう次回があるとは思いたくない。

 多分僕は、多くの人よりもメールが嫌いで、人に合わせるのに人より多くのエネルギーを使っていて、それなのに人並みかそれ以上に社会で生きるのに魅力を感じていて、かつ何らかの成り行きおよび意思決定によって社会的仕事を引き受けているのだと思う。その不釣り合いがいけない。いや、不釣り合いであることは別に良くて、その不釣り合いを解消する方法を持たないのがいけないのか。

自分が今嫌だと言っていることをやらなければ、大袈裟に言えばだが、僕は社会生活を捨てることになる。ただ、おそらく僕はそれを望んでいない。
非社会的生活では、多くの人が正しい、楽しい、嬉しい、心地よいと思うことに反して生きることになる。それはとても受け入れがたい。
社会生活というのは綺麗に送ることができれば非常に爽快なのだけれど、その裏では自分を殺している状況が少なからず生まれていて、そのツケが溜まりに溜まると、どうしようもなくなる。(語彙が貧弱だが、これ以外に表現のしようがない)


結局まとめると、今の状態は以下のようになる。
自分がしていたいことと社会が自分に求めることにはどうしてもズレがあるということ。自分は自分がしたいことをしたい(当然)その一方で、社会でも生きていたいということ。社会で生きていくには、自分がしたくないことの多くをしなければならないということ。
そして何より、社会で生きるためにしなければならない、自分がしたくないことというのは、しばしば自分の精神を大きく圧迫し、その結果社会と自分をつなぐツールである携帯を破壊したいという願望にまで発展するということ。


それで、思いつく現実的な解決策
ある哲学者の本に、自分は感情的に怒ることができないのだが、冷静に怒鳴り散らす技術を身につけたら、生きやすくなったという体験が書いてあった。
例えばありうる方法として、自分がいやだと思うときに嫌な社会的できごとの催促の電話がかかってきたら、かけてきた人に「ふざけるな、こっちは出たくないんだばかやろう」と怒鳴って切る、というのもまた究極的な方法論としてありかもしれないと思う。社会的弱者は、社会に歯向かわないと、自分たちは正しいと思いこんで止まない強者達に流され、そのうち弱って鬱病で死んでしまうかもしれないのだ。メールの場合は、メールじゃなくて電話しろ、というテンプレートを返信する。テンプレートの送信すら面倒くさいだろうから、自動返信にしてもよい。
 多くの人は、メールというのはすぐに返信されて当たり前で、電話は出られて当たり前、それができないとなんてひどい、社会的にありえない奴だと批判するに違いない。
僕も本当に、本当にそう思う。非常にひどい奴だと思って止まない。
でも僕は、そうする人が仮にいたとしても、その人を糾弾することは決してできない。そうしないことには生きていけないのであれば、それは仕方のないことで、精一杯生きている証なのだと思う。

上の極端な話は現実的には寝かせておくとして(そんな風に怒鳴ったら、人々は頭のおかしな奴だと思って、結局社会的に生きられない可能性が生じる)、なぜ自分はこんな風に考えざるを得ないのか?そして他の人はどうしてこんな風に悩むことが少ないのだろうか? その違いが何かを解決してくれるのではないかと期待している。
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コメント
この記事へのコメント
そうか~。なんか自分は事務的なメール以外は来ると何だか自分の存在が相手に認められてるような気がしてひたすら嬉しくて何通でもいくらでも返信しちゃう性分だからほんま正反対だね。

まぁそれはそれでメールしたのにスルーされたり、真意が伝わらないと変に相手の気持ちを詮索しちゃって自分で沈んでしまうけどね。

社会ってやっぱり葛藤しながらも合わせなきゃいけないんだろうな。自分も今人間関係の難しさとかまた感じてるし。それでハウツー本を買ってしまったりするところでかめさんとは思考レベルの次元が違うのがお恥ずかしいところなのだが。
2007/04/29(日) 02:17:24 | URL | ピクルス #a0J2.lfM[ 編集]
社会で生きていくことはそういうもんです。
嫌なこともまわりに合わせてやっていく。
そうしてたまってく物をストレスっていうのよね。
ようはあれでしょ?
いまの状況は非常にストレスを感じやすい状況なのにストレス解消法が見つからないってこと。

噛み砕きすぎたか?(笑)
2007/04/29(日) 17:26:41 | URL | philo #-[ 編集]
うーん、なんていうかな。。
私もかなりの現実逃避人間なんで、嫌なメールは故意に何日も放置した揚句、後でへこへこ謝ったりして社会性の辻妻を合わせてまする。
前はそれを自分の社会性のなさだと思って凹んでたんだけど、精神のバランスを保つためなら多少社会性を削っても仕方ないや、と肯定的に考えるようにしたら、若干楽に(自分勝手に)生きられるようになった気が。

多分、かめやんの置かれてる状況は私なんかよりずっと大変だと思うし、そこで社会性を削ることの是非は人それぞれだろうから、参考にはならないかもしれんけど。

とりあえず、似たようなことで凹んだり悩んだりするのは皆同じだと思うよ(・ω・)
2007/04/29(日) 22:37:27 | URL | dodori #-[ 編集]
>ピクルス
うーん、人それぞれだよねーー。
社会に合わせなきゃっていうのも含めて

>philo
まぁそういう部分も多々あるねぇ
そこがうまくいっていたらこういう不満は出てこないはずだし

>dodori
つじつま合わせはよくやるよぅ~~
みんな悩んでるんだねー、悩まないような社会にすればいいのにね~~w
2007/05/01(火) 00:08:11 | URL | かめ #mQop/nM.[ 編集]
結局
最低限自分がかかわらなければならない社会的出来事に関しては、感受性を殺すのがいいと思いました。要は、余計なことは考えない、と。自分のもっとも苦手とすることだけど。。
2007/05/02(水) 05:08:37 | URL | かめ #mQop/nM.[ 編集]
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