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Gödel dependent
現役アナウンサーが自殺したそうですね。いつになく悲しく思います。それはきっと昨日自分が読んでた中島義道の新刊で、時間軸を現在以外の点から客観視しない視点を理解しようとしていた後遺症が残っているからなのでしょう、、
ちなみに木村敏のノエマとノエシスは新しい概念でもなんでもなくて、フッサールとか、日本人だと波多野精一が既に未来把持という言葉で提出していたらしいですが、まぁそれはどうでもいいです。

ほとんど同様の体験をした人がいたとして、片方は自殺しても、もう片方は自殺しないということはよくあることだと思います。ある出来事がきっかけで鬱になるかどうかも、その人がその時点でそれまでに積み上げてきたものによって変わる。変えることができるだろうにもかかわらずうまくいかなくて、鬱になってしまったり、最終的に死んでしまったりする人が少なからずいるというのは、なんとかならんかなーと思うものです。あー思考が散漫だ、、

彼女も現実が辛かったなら、せめて哲学にでも逃げ込めればよかったのにね。ちなみに哲学の観点から言うと、自殺という"実践"は哲学からの逃避です。だから哲学青年の自殺、というのは厳密には成り立たないとのこと。
哲学やってる暇がないくらい切羽詰まってたなら、宗教でもよかった。
(なぜそこまでして自他がの自殺が良くないと思ってしまうかは、まだ言語化不能)

他人のことを考えるというのは、そもそも方法論としては(功利的には良くても)完璧ではなくて、他人のことは言語以外の方法で感じる方がいいのかもしれない、と最近思う。そして自分のことについても、言語で考えるというのは完璧に限りなく近い方法だけど、所謂"日常社会生活"で自分がほんとうに大事にしなければいけないのは、言語では言い表せない部分の何かなのではないか、とも。ゲーデルに依存的に。

明日から2日間月ヶ瀬に飛ばされる。
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