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笑いの功罪
人の話を聞いていて、気付かぬうちににやけていることがあるのだが、それはどうにもしようのないことなのである。それはおそらく、梅干しを見ると唾が出てくるとか、気になる異性に話しかけられると周りのことはどうでもよくなるとか、そういう類の無意識さと似ている。
それを最初に自覚したのは、中学校の時、すぐキレる肥満児にボールをぶつけたとかで、奴をキレさせてしまい、殴られないようにと必死で謝っているときに「おめぇにやけてんじゃねぇよ」と言われたとき(結局殴られた)。それからしばらく表面上は問題なかったように思うのだが、笑うべきでないところでにやけてしまうのは依然続いており、気付くと噛み殺さねばならないことがある。
別に人を蔑むとか、優越感に浸るとか、まったくそういう気分ではない。何を以てして自分の表情筋が緩むのかは未だ不可解だが、基本目上の人といるときには取りかえしのつかない不謹慎な事態にならないよう、それを基本的に殺すようにしている。特に最近、病院内にいるときはそれがデフォルトなはず。

笑うという表情を作るような情感の動きというのには、実にいろいろな要素が絡んでくると思うし、それだけで一冊の本が書けてしまうくらいであるのは確か。一つ言えるのは、その根底には自己の防御、人間関係の円滑化を目論む動きがあるということで、それなのに笑うことによって人との関係が損なわれてしまうとしたら、それは非常に悲しいことだと思う。

今ラジオを聞いていたら、巨人が一挙7点をあげたそうな。久々に巨人らしい強さ。愉快に笑いたいところだけれど、傍に阪神ファンがいるときには、絶対に笑えない。そのうち一人でいても笑わなくなる。それはそれで悲しいもの。(まぁ一人で笑っていても気持ち悪いかもしれないが)

笑うも笑わないも、いずれにしても理不尽なのは、自己の認識する世の中が基本理不尽であることをそれなりに受け入れているはずの自分からするとあたりまえのはず。だけれども、今まで無意識にやってきたことに関する理不尽さが露呈されると、それはやっぱり悲しいことに思える。
結局何事にも理不尽性がついて回ることに変わりはなくて、それをその裏あわせとしての幸福性と共に、噛み締めながら生きていかなくてはならない。
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コメント
この記事へのコメント
そんな君には、次の書を薦めます。

「ごきげんナースとごきげんドクター 僕たちのごきげんが医療を変える!」(坪田一男/著)

いつでもごきげんになれるかどうかは私にも分かりませんが、ごきげんでいないときよりもごきげんでいるときのほうが物事が上手くいくというのは、多分間違いないと思います。

眼科のポリクリを終えて、そう感じました。

にやけているのとはまた別かもしれませんが、それを殺すという発想もあれば、いっそ笑いに持っていくという発想もあるのではないでしょうか。
2007/04/15(日) 21:14:22 | URL | タッキー #-[ 編集]
あー私もよくある!無意識ににやけてて周りにツッコミ入れられるパターン。
私の場合そうなる状況と理由はわかってるんだけど、周囲に説明するのも阿呆らしいんで笑って流した結果、更に阿呆キャラが際立つという(笑)

…笑いに持ち込む一例ですかね?
2007/04/16(月) 18:37:25 | URL | dodori #-[ 編集]
>タッキーさん
ごきげん、というのはT教授のモットーですよね~~。すごすぎて僕には到底真似できそうにありません(>_<)
万人を笑わせる才能は、大学2年までの試行において確認されなかったので、今は無難に生きる才能を開拓中ですw

>dodori
それは一つの才能だよねーー、ある意味羨ましいw 俺は煮ても焼いても食えないからなぁ、静かに気配を殺す方を選ぶ予定☆
2007/04/16(月) 21:47:49 | URL | かめ #mQop/nM.[ 編集]
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