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社会参加
さて、前回の投稿で書いた「フィーリングを鍛える」ことについて。
僕の中では社会参加も、医学の勉強もこれに入る。今まで真面目にやってこなかった分、いろいろつけが溜まっていそうだけど、目新しくて、少なくとも始めのうちは輝いて見える。

昨日は講義に出て、今日は医療政策クラークシップのディスカッションに参加させてもらった。個人が決定するということと社会が決定するということというのは根本的に異なるんだなーということを再認識して、あとは社会が何かを決定するための方法論を、ファシリテータの指示に従いながら追っていく作業。尤も他者の規定が自分の中でできていない状態で議論するから、前提が立ち上がるまでは抽象的な意見しか出せずに、若干苦しかった。あ、あと今日は自分は論理教信者(論理主義者)だった。まぁここを信者じゃない状態で議論したらいつまでたっても政策の話はできないから、仕方ないのだけれど。これは少なくとも数年単位で自分の課題として残るでしょう。ちなみにもう一つ再確認できた点は、自分は、論理学的に正しいこと以外のことについて、自分以外のことを決定することは到底できそうにない、ということ。てことは、そういう制約の中で、これからどうやって社会に参加していくのかを探らなくてはですね。。


哲学的な議論を差し置いて、その前提の上で何かを議論してしまうことは、以前の自分にとっては嫌悪感が強くてとてもできないことだったのだけれど、それが少しできるようになってきたというのは、植物に例えれば、根が以前より深くなって、茎から上を重くしても何とか耐えるようになったという感じでしょうか。久々に社会ついて頭を捻って議論するのは、まるで光合成しているかのように清清しく感じられたものです。
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