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功利性から
少し功利的に生きようと思って、エッセンシャルオイルとアロマキャンドルを買ってきた。香りは、シダーウッド・パチュリー・マージョラム。神経を鎮め、食欲を抑えて、社会的生産性を増す。
功利性を求めて、サマリーを少し書いた。卒業へ一歩近づく。

社会と自分とのかかわりは、体験してみないとわからない。体験しなくてもわからない。今自分にできることを、自分で把握することはおそらく、できない。何かを言葉で表したとしても、それ以上の事象を求めることはできない。自分はまるで、論理に絡み取られた言葉の膜を球にしたものの中心の芯にいて、内側から外のことを知ることはできないし、また球の表面より内側の空白についても知ることはできないようだ。 そんな曖昧なイメージはあるのだけれど、時間がなくてそれ以上言葉にできない。だから、感覚もそれ以上進まない。 時間はないけれど、それでも少しずつ、両面性を持って生きていくしかない。

だから、今日は少し功利性を求めてみた。ものごとが、少し進んだ。その分いくらか、自分の内部に歪みができた。それは、いつかどこかで払われなければならない代償として蓄積されていく。それが、自分やその周辺事象を、自分の一部として形成していく。
そういう意味では、自分というのは、時間の圧力によって捻出された概念である、と言える。そう言ってしまうとあたりまえか。でも、敢えてそう考えると、歪みを溜めた分だけそれは洗練されるし、強固になりうる。一方で、溜める方法を間違えると、それは脆いものになる。全ては方法の問題。自分というものが最も安定でいられるような歪みのため方・言葉への昇華の方法を体得することが望ましい。 あーこんなんじゃダメだ。話の筋がずれてくる。本来僕がしたいのは、もっと全体を網羅した、反論の余地のない話。とはいえ、全てを網羅した話を書こうとしたら、前提が数え切れないほど立って、しかもそこから出てくる結論は論理的にあたりまえのことでしかありえないから、それでは若干つまらない。面白い話というのは、論理と非論理の溝をうまく捉えた話なのか。

長くなりそうなので、功利性を求めて寝る。明日集合が7時半とかどんだけ~
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