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これまでのあらすじ
簡単に言うと、以下のようなことです。
誰にでも、本当のものを知りたいという欲求はあると思います。
そこで僕が自然に選んだ思考方法は、方法的懐疑でした。デカルトの。
それを日常生活に適応したら、結構どうにもならない状況に陥りました。それはデカルトも認めているところらしいです。日常生活の選択と懐疑による結論は別物だ、と。ただ、僕には別物、では説得力がありませんでした。自分の真理を知りたいなら、自分に適応しなくてそれがどうして知ることができよう、と。その結果全ての価値判断は原理的に停止し、自分が何であるかもよくわからなくなりました。その状況で2年ほど、漠然とした懐疑を深めながら過ごしてきたわけです。日々(日々という程何かしているわけではないが)試験やら部活やらルーチンの仕事やら社会的生活をこなしていくことに、かなりの困難と無理を覚えていました。

そこで、この春休みは情報収集に徹しようと考えたわけです。
いつもの如く、空いている時間があればそこには必然的に予定が入っていくので(この姿勢自体が間違っているという話もあるが、自分の帰るべき社会は残しておきたいので致し方ない)、充分にそれができているわけではありませんが、意識的にこれを行ってみているところです。

今のところ、方法的懐疑の"不毛な"部分を削除して、そこに文脈主義という解釈を加えるという方法があると知りましたが、なんかしっくりこないなー、と。方法的懐疑を一部棄却する"不毛性"の意味がわからない。強引な筆者のイデオロギー的なものに拒絶反応がでたぽいです。
でもぼんやり本を読んでいるうちに、マルクスとかの社会学も悪くないなーと思い始めたというのは、一つの収穫ではあります。

ある本に「一度過去の哲学者が建てた建物に住んでみて、しっくり身体になじませてから全部それらを壊して、新たな自分の建物を建てる」作業が必要だ、と書いてありました。今の自分がすべきなのは、いろいろな哲学者の考えを、もっともっと身につけていくことなのではないかと思います。同じところで立ち止まっては、時間が足りない。とはいえ方法的懐疑は未だに完全な解決策が出されたわけではないそうですが。


そんなかんじで。
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コメント
この記事へのコメント
むかし
読んだハマトンのワークという本では、
破壊というのはそれ自体建設の一部だ、
という事を言っていたなぁ。
しかしその一方で、
建設の一部でない破壊を、
いかにも一部だと言うように
行ってしまっている人も少なくない、と。
そういった人には、
これは後にどういう建設がくるのか、
と問うても、
非常にあいまいで、情熱のない答えが返ってくる。
このように後に建設のない破壊と言うのは、
深遠な満足を到底得られることはできないし、
時間の無駄になる。
というような内容だったと思われます。
原著では建設と破壊だけど、
もちろんこれは比喩的な意味でしょう。
カメの破壊が後に来る建設の一部であることを期待して。
2007/03/13(火) 01:51:13 | URL | やさく #Xnq8k9Uo[ 編集]
なるほど
thanx. とりあえず徒に破壊に走ることはしないつもり。
ていうかその本興味あるなー。アマゾンで検索したけど出てこなかったから、もし覚えてたら詳細教えてくれぃ~~
2007/03/14(水) 00:45:07 | URL | かめ #mQop/nM.[ 編集]
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