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スケッチ
何かを読むたび、価値観が変わり、認識の様式が変わる。その中で、不明瞭だったものの輪郭が少し見えてきたり、逆にそれまでは見通しのついていたはずのものが、今後どうなるかさっぱりわからなくなったりする。今まで大切で手放せなかったものがどうでもいいものとなり、はたまた、どうしても手に入れなければというものも新たに出てはくるものだ。

内省的思考について。そこにただある論理構造を掘り下げ、その地層に刻まれた模様を言葉として解釈する。その作業が終わると、掘り下げたという事実は無意味なものになっていて、掘り下げたがゆえに残っているはずの"上の階層"にある平面は消えている。言葉という梯子によって上の仮想平面に辿り着くことはできるが、その平面に再び降り立つことはできない。このようにして、過去の自己は現在の自己との隔たりを作る。
この階層構造は、僕の中では時間的に有限なはずで、あるところまで掘り下げるとそこには何百という長方形の板のようなもので形成される平面が存在する。長方形の板からは長い一本のくねくねしたオブジェが生えていて、上の階層へと向かっている。長い板はその平面内でするする動いていて、その動きは一種の自我の統合作用をつかさどっているようである。板が動くたび、その上についたオブジェも一緒に動いて、その上のさまざまな平面内で他のオブジェと相互作用する。そうしてできた要素は上の階層へと抽送され、社会層において発現する。ちなみに情感とは、地層に刻まれる性質のものではなく、この作用によって立ち昇る性質のものである。
これらの板の平面の下には"最後の"階層があって、それはポリマーのような均質なものでできている。ここには、意味だとか解釈だとかを排除した、純粋な自己の存在様式を規定したい。

内省的な思考によって照らされる時間軸に刺さった自己の、照らし出される部分は、その幅も長さも伸縮を繰り返す。将来の自己像を描いてはみるのだけれど、明滅が激しすぎて混沌としている。
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