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今までのこと
僕には、周りの人にあるような感受性の一部が無いような気がします。昔はあった気がしますが、今は、まるで二度と開かない蓋をされたようです。勿論、昔もっていたものなので、想像はできます。でも残念というべきなのか、実感はありません。
僕は、過去も未来も見ようとしなくなってしまいました。今の自分の感覚と呼べるようなものだけが信じられる全てのもので、それ以外のものはどんなものでも結局は信じられないものだ、という固い信念のようなものが出来ていました。この感覚が確実になったのは、おそらく今年の頭くらいだったように思います。そうしていくのが、自分にとって一番精神的に負担が少ない生き方なのだ、と、悩み抜いた結果、そういう一つの結論を出してしまったようなのです。僕を中心にして言うなれば、僕はそのように教えられたのです。第三者的に言えば、社会との関係性の中で、僕はそういう道を選んでしまった。
その昔自分の多くを形成していた上昇志向、自分の人生への期待、そして他人への期待が当たり前のようにきれいさっぱりなくなりました。その代わりに、それらへの不安も同じようになくなりました。ただ、今自分は流れている。見えるのは今自分が向いているベクトルの指す、暗黒の中に空く一点のピンホールのみで、将来予測の頼りとなるのは、そのベクトルの向きだけ。

そのせいか、悩み事の種類も変わりました。多分以前に比べて安定もしました。例えば、それまで何かにつけては気になっていた、彼女がいないなどということは、それまでが馬鹿みたいに気にならなくなりました。今の自分を、それまで期待していた方法とは違う方法だけれども、自分で積極的に認められるようになりました。
が、その一方で何かを失った気もします。何を失ったかは、そのときにならないとはっきりはわからないでしょう。今の自分に言えることは、それを取り戻すには、現在に凝集された自分を何者かに向かって投げ出すしか方法がない、ということでしょう。その紐無しバンジージャンプの勇気が自分にあるかどうかは、そのときにならないとわかりません。一生投げ出せないかもしれません。

人はいつでもどんな風にも変わり得るし、今の自分以外は絶対に不確実。ただ、今の自分だけは見ていなければならない。他から目を逸らした分だけ、今の自分を見てしまう。今はそれが新しくて、極端に言えば、それに懸けて生きていくつもりだけれど、またいつ全体の構造が変わってしまう転機がくるかは、今の自分にもわからないのです。
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コメント
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2007/09/13(木) 03:28:05 | | #[ 編集]
なんかわかる気がする。多分私もここ数年そうだったので。
私の場合、予期せぬ外部刺激によって部分的に元の考えに戻りつつあるのですが。。

…ま、なるよーになるんじゃない?(結局それか)
2007/09/13(木) 07:35:42 | URL | dodori #-[ 編集]
>dodori

なるほどーー。元に戻りつつあるですか。
なるよーになるのは間違いない。
2007/09/13(木) 13:19:05 | URL | かめ #mQop/nM.[ 編集]
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