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言葉
異性について罵る時、顔を否定するのと人格を否定するのと、どちらが酷いか。
お互いの顔は相互作用しないから、それを否定するのは一方的で弁解の余地を与えないが、人格は相互作用し得るし、相互作用して初めて発現するものであるから、それを否定するのは両者のずれという解釈が可能になって、顔の否定よりはまだましなのではないか。


言葉を知らないと、状況に飲み込まれてしまう気がする。
安部公房の第四間氷期を読んでます。
形式で言えば妄想着想や妄想知覚、内容で言えば被害妄想に近い表現がたくさん出てくる。。
こうやって、状況に自分を同期させなくてもそれが理解納得可能になるような、分析をするためのツールとしての言葉を知らないと、いつの間にか自分もそちら側に引きずり込まれてしまいそうな気がする。感受性を強く持つことは時には必要だが、敢えて遮断することもまた必要であり、遮断する時には概念的な言葉が有用である。
例えば、「テレビが自分の悪口を言っているように思う」
というのを、頭を抱えて、一体それがどういうことか考えるよりは、
それを被害妄想、と一口に言い切ってしまえば、自分にかかる負担は少ない上に、clear cutに理解納得が可能な気がする、というのは善し悪しなのでしょうけれど。

微妙に鬱。眠くてなんだか動きたくない、、
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コメント
この記事へのコメント
足あと、ありがとうございました。
「オール慶應義塾」というコミュ
http://mixi.jp/view_community.pl?id=1726485
を管理しています。
良かったら参加してみてください。
2007/09/09(日) 23:38:10 | URL | はくしきかず #-[ 編集]
かきこみ、ありがとうございました。
2007/09/11(火) 03:11:52 | URL | かめ #mQop/nM.[ 編集]
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