This is a game.
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
実戦
東京から3時間半、月ヶ瀬はリハビリセンターにいってきますた。あてがわれた家族寮、幼稚園の頃自分が住んでた官舎を彷彿とさせました。玄関はいると、まずゴキブリがいて、大浴場の手前にはナメクジがぶらさがってました。担当患者はいい人でした。慢性期だからか、カルテの記載が数日おきでした。そういややじーも慢性期はPOMR/SOAP以外の書き方もあるとかいってたような・・・?
一年のときEEPで、やはり慢性期の病棟で(このときは介護者として)実習しましたが、そのときと印象はあまりかわりませんでした。実践ありき、という雰囲気とか環境は、どうも自分には合わないよう。今回は先生たちがかなりアカデミックだったので、その点救われた気持ちでしたが。

帰ってきてすぐ四谷のみでした。なんだかいいアドバイスをもらえました。いい理解者を持てて幸せです。けどその後飲まされました。戦でした。能力のない者はえぐって、悲しい哉、社会の底に沈んでいくのです。アルコール処理能力(-)。理性が完全に飛ぶわけでもなく、いくつかの強固なストッパーが外れる前に眠くなって、一部の人には心配され、一部の人には飲みが足りないと言われ、、てなかんじで、ご心配おかけした人、すいませんでした。大丈夫です。送ってくれたかねごん、ありがとうm(__)m
スポンサーサイト
Gödel dependent
現役アナウンサーが自殺したそうですね。いつになく悲しく思います。それはきっと昨日自分が読んでた中島義道の新刊で、時間軸を現在以外の点から客観視しない視点を理解しようとしていた後遺症が残っているからなのでしょう、、
ちなみに木村敏のノエマとノエシスは新しい概念でもなんでもなくて、フッサールとか、日本人だと波多野精一が既に未来把持という言葉で提出していたらしいですが、まぁそれはどうでもいいです。

ほとんど同様の体験をした人がいたとして、片方は自殺しても、もう片方は自殺しないということはよくあることだと思います。ある出来事がきっかけで鬱になるかどうかも、その人がその時点でそれまでに積み上げてきたものによって変わる。変えることができるだろうにもかかわらずうまくいかなくて、鬱になってしまったり、最終的に死んでしまったりする人が少なからずいるというのは、なんとかならんかなーと思うものです。あー思考が散漫だ、、

彼女も現実が辛かったなら、せめて哲学にでも逃げ込めればよかったのにね。ちなみに哲学の観点から言うと、自殺という"実践"は哲学からの逃避です。だから哲学青年の自殺、というのは厳密には成り立たないとのこと。
哲学やってる暇がないくらい切羽詰まってたなら、宗教でもよかった。
(なぜそこまでして自他がの自殺が良くないと思ってしまうかは、まだ言語化不能)

他人のことを考えるというのは、そもそも方法論としては(功利的には良くても)完璧ではなくて、他人のことは言語以外の方法で感じる方がいいのかもしれない、と最近思う。そして自分のことについても、言語で考えるというのは完璧に限りなく近い方法だけど、所謂"日常社会生活"で自分がほんとうに大事にしなければいけないのは、言語では言い表せない部分の何かなのではないか、とも。ゲーデルに依存的に。

明日から2日間月ヶ瀬に飛ばされる。
just dig.
ポリクリはリハビリ開始、って書くと誤解を招きそうなので、リハビリテーション科が開始。早速身体診察の被験者に。先生曰く、君、大腿四頭筋は柔らかいけど、股関節外旋は固いねー、ほら、ほとんど曲がらない、とかなんとか。班員に嬉しそうだね、と言われる。本人はそういうつもり全くないのだけれど。いじられ方が定着してきた。

患者さんは元気。アナムネも一方的に喋られるから外来の時間内に終わらない。病棟だったらいくらかかってもいいのにね。結局手術4回したらしいのだが、うち2回はいつどんな手術したのかわからず。プレゼンでごまかす力だけでなく、さりげなくClosed questionできる力も欲しい。
ポリクリの初めに散々身につけろといわれたOpen questionだけど、慣れてしまえばそっちの方が楽。知識が薄くても聞けてしまうし、自分が何をどうしたいのかわからなくても話が進む。でもそれだけじゃいかんのよね。それはポリクリ外でも。

担当患者が来るまで一時間くらい待たされた時、男2女1で昼間から"自分を掘る"話を永遠とする。いわゆる観察と分析、ではなく、反省と直感による自己表現。結論としては、他人は何とでも言うんだよねーということ、将来社会性を失わないために我々は精神科には行かない方がいいかもね、ということ。特定の友人以外とそういう話をするのは数年来だった気がするが、案外そういうモデルを提出しあえる人が身近にいるのがわかって心強い。そういう人が少数でもいる社会なら、自分でも生きていけるかも、と少し思えた。

も少し元気出してQB解こ。
原動力
5年先のことなんて考えもつかないし、5年後のために1年後に何をしていればいいか考えて、そのために今何をするかなんて考えも及ばない。だからといって、今何もしなくていいわけではない。それがiいずれも原理的に仕方のないことなのはわかっている。

究極的に言えば、結局選択なんてあってないようなものだし、自由なんてあってないようなものだし、束縛されているようで、完全にそうだというわけでもない。そういう漠然とした評価しがたい宙ぶらりんの、恵まれているのか恵まれていないのかすら自己評価不可能な環境にいて、もしもそこに一つの、全ての質量をもつものを引き込みうる質点を見つけるとしたら、それは原動力という言葉だと思った。

たとえば5年先のことはキャリアープランニングの方法論において極めて大切だけれど、そこに何らかの目標とか将来像とかを見出せないほど現在が混沌としているとき、自分が確認することのできる唯一のものは、現在の原動力のベクトルであって、他が真っ暗闇で何一つわからないという状況に陥っても、それさえ自分の心の中に、火のように灯っているのをこの目で見ることができたならば、自分は希望を持っていいのだと思った。むしろそれさえあれば、他の何を失っても、手探りで進まなくてはいけなくなっても、怖くなることはない。
その一方で、その灯火を見つけるためには、5年先を見るという動作を、まるで儀式のように遂行しなければならないし、そこで、そこには何もないのだという苦しみや恐怖を噛み締めなければならない。けれどその時に起こる現在の自分の変化に敏感でありさえすれば、次の瞬間にはちろちろと燃える現在の心の底に溜まった矢印型の燃えかすに、僕はやっと希望を持つことを許されるのだろう。
ところてん
んー、最近いろんなものが動いている。動かさざるをえないというか。
安定はしていないけれど、何も考えられないのに停滞しているよりは、悪くはない時期。

今日、かなり昔からお世話になっている先生と話す機会があった。
答えが出ない、というのは原理的に仕方がない。そういうものは、いくらでもある。だから、時間がきたら、ところてんのように押し出されて、そのとき自分ができる形をつくる。それがたとえ無様な姿であっても、今唯一僕ができることはそれだけなんだ、と納得する。そうするしかない。そういう、どこかに行かなければならない時間がきたことに、ある意味感謝しなければいけないのかもしれない。
やっぱり病院見学に、行こうと思った。えぐくても死にそうでも何でも、もう、いいや。やっと今日、そう思った。

その裏で、ふと考えること。多分、僕の生き方には内科系、精神科の2通りある。ずっと前にもどこかで書いたように。
入れにくい患者のCVカテを1本入れるのに45分かかる。その手技をやっているのと同じ時間で、たとえば僕は今日、QBの合間に、対角線論法の概要を読んだ。これで、カントールとラッセルのパラドクスは解けてしまう。CVカテ1本入れるのと、パラドクスの解消。次元の違う話を比較するのは、所謂category mistakeで間違いなのかもしれないけれど、今選べといわれたら、答えは歴然としている。やっぱり最終的な答えはまだ出ていないのだ。
ちなみに数論の歴史を辿っていると、自分が一年前に先輩と話してて行き着いた哲学的な極小値に似た議論が出てくる。このカントールとラッセルのパラドクスも、まさに自分たちが話していた概念を集合で表したものに過ぎない。もっと早く出会っていればなーと思う。だから、何度も思う。医学は、あくまでメタ的発想には依存し切れないのだ、と。だってせっかくCancer stemという一種の概念を提出しても、それは結局下の階層のwetな実験による一定の方法で証明されなくてはいけない。いくらメタ的概念を提出したとしても、観察・観測の階層に落とし込まれる。科学哲学はまだよくわからないので議論しづらいが、その次元から抜け出すことは、原理的に不可能。
まぁそれでも人はいくぶん幸せになるようなので、功利的には問題ないのかもしれないけど。

まぁいいや、とりあえず見学には行くと決めた。
いし
今週はあまり週末らしくない週末。土曜の部内講習会が効いた。てか他のブースのことわからない。。名前こそPALSといいつつ結局BLSだったし。不整脈薬わからなす。。

今日は午前中、着なくなった服たちを捨てた。いわゆる衣替え。そして部屋の換気。明日からまた雨らしいし。 そういや衣替えといえば、海老のエビフライとか有名ですね。 ん?


昨日は、神の子どもたちはみな踊る、の中の『タイランド』を読んでいるうちに、気が付いたら寝ていた。極めて心地良い眠り。
学習効果は寝る直前と起きた直後がいいと言われてるけど、起きたら読んでた内容がフラッシュバックして、若干足元がふらついた。

言葉にすると、心に石ができてしまうんだって。白くてつるっとした石。その石は、死んで焼かれた後も、残ってしまう。引き摺っていたものを一旦言葉にしてしまうと、それは嘘になる。そしてその言葉は、石になる。
…今週末の、Take Home Message。
こなすこと
書くのは基本週末だけにしよう、と心の中で決めていたのだけれど、なんだかやっぱりそういう気分なので投稿。ただ日々の生活をこなしているだけでは抜け出せない何かがあるから。それは、生活のこなしかたが甘いからなのか、原理的にそういうものだからなのかは、わからない。

自分の時間は、就寝直前と起床直後にとろうと決めた。ありきたりですが。
就寝直前は、へんな時間に寝てしまうことを除けば大して大変ではない。寝ようと思ったときに蛍光灯を電球色だけにして、Keith Jarrettの"The Melody At Night With You"をかければ、それだけでいい。それで、本を30分くらい読めればなお良い。二年ぶりに村上春樹を読み返している。このあいだは「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」のうち、「世界の終わり」だけを掻い摘んで読んだ。今は「神の子どもたちはみな踊る」を読んでいる。違う著作だが、「デンドロカカリア」という仮想植物の名前が頭から離れない。多分「デンドロ」の部分がOligodendrocyteに被るからだと思う。オリゴデンドロカカリアの方が生々しくていいかも。あれはたしか、概念的な植物だったから、神経と連関すると生々しい。そう感じてしまうということは、自分も多少は唯脳論に毒されているのかも、と思う。
安部公房は、最近何故か読めない。不完全性定理と科学哲学は一冊ずつ保留してあって、週末に少し読みすすめられる程度。

QBだけやればいいなら、きっと面白いようにリズムが作れるだろうに、と思う。むしろ作ってみたい。けど現実はやっぱりもっと複雑で、今日はPALSのガイドラインを流し読みして、プレゼンのpptとシナリオを作った。模試の復習も全然終わってない。そんなだから、もうSTEPはがつがつ読まなくていいやと思った。
そういえば、マーカーを使うのをやめた。代わりに赤青鉛筆を3本買ってきて、1本を鞄に入れ、残りを自分がよく勉強する場所に置いた。鉛筆削りは常に携帯。
赤青鉛筆で引いた線は、やわらかくて、引いたところを読み返すと温かい気分になる。強調したいところは濃く、さらっと流したいところは薄く。

循環器のQBは長い。金土日に1日100問ずつやれば一般問題終わる、という夢を語ろうと思ったが、土曜日が一日潰れることを忘れていた。
小児科の抄読会の論文も読まなければならない。


日々の生活をこなしている。ほんとうはもっと、こなすことに真摯に、真剣にならなければいけないのかもしれない。そうしなければいけないという意識がなんとなくあるのに、実際していない、というのはなんとなく微妙な気分ではある。しかし、結果的に何らかの違和感を感じ、その結果決めた規律に相反する行動を起こしているのもまた自分である、と心から感じることが、ここでは重要なのだと思う。そう思えれば、僕から飛び出してしまった僕もまた僕になり、ほんとうの僕が現実のものになる。そういう確認作業の繰り返しが、僕を何かに没頭させる、安定した基盤を形成するのだろう。何かを制御する系統は、2つ以上あった方がいい。何かに没頭するという事象は、それを目的に、ではなく手段に位置づけるようありたい。少なくとも、没頭しているのが僕、なのではなく、僕が没頭しているのだ、と常に、堂々と言えるように。概念的には、常に、僕とその周囲の現実を、メタ的視点の可能性を意識しながらも、かろうじて直視、できるように。
いかん
ここ数日妙にいらいらすることが多いのですが 余裕がないというか
いつになく頭は冴えているのだけれど。前頭葉でもやられたかな、、、Korsakofにはなりえないので、Alzの前頭側頭型かPickか
自分が正しいと思うことと自分の周りが求めているものがずれているというか
自分が正しいと思うことを心から正しいと思って行動に出すこととか、いらいらできるということは、昔の自分にとって一つの目標だったので、方向性は間違っていないのだろうけど、微妙な方向が間違っているのでしょう。エネルギーの向く先と強さが。
心に栄養あげなきゃだわー、、 余裕がないことほど周囲に迷惑をかけることないし、。

QBは割いた時間だけ進むから、それを心のよりどころにできて、逆にいままでの漠然とした安定感が霞んでいるかんじ。一言で言えば殺伐としているというか。古典をきけなくなってラフマニノフの音の絵39を細部まできく気になるということは、結構病んでるぽいなぁ。。プロコは受け付けないので、まだそこまで嵌っているわけではなさそうだけど

んーー、、
久々にひどい日記
時間をとめて、一週間くらい勉強しない時間を作りたいなー
今朝起きたら時計が1時30分をさしていて、しばらく考え込んだ。明るいから、まさか、昼だよな?って。

目覚まし7時にかけたのにーーー。午前中の予定が全てパーになった、てか終わってるわ、、
と、一通りの絶望感を味わいつくしてから立ち上がったのだが、そんなに寝た気はしないし、何か変だと思って腕時計を見たら、9時でした。目覚ましの電池切れ、という今日の幕開け。一度覚悟したお陰で午前中は変な気分でした。

小児科のレポートを日曜締め切りなのを忘れてて、今ざっと書いてるとこ。とりあえずTeXはおいておいて、Wordで。。

ググった拍子に精神科医のblogを見つけて読みはじめたら止まらない。若くしてまじ頭の良さそうな人で、神経心理から精神病理から宗教から数理モデルから幅広く論文とか書籍を読んでいるらしい状況がわかる。すげー、てかやっぱおもしろそう。ゴールは他の科より見えづらいけど、途中にあるものが魅力的。常にパラダイムの転換が起きて、ものを見る目が変わる。世界が広がる。
まぁ目下することは医者になるためと将来の選択肢を一応広げるために内科の知識をつけることですが。まだ神経と、循環の半分しか終わってないが、神経にしても循環にしても、ちょっとメカニズムを掘るとチャネルに行き着くところが、なんともいえない。将来もし専門にするならチャネルを考えながら生きるのかーと思いながらそういう横道にそれるから、QBは進まない。

明日からはまたポリクリだー。久々のオペ室。
ルーチンの勉強をしなくてはならないときは、一日何も無いよりは、半日は何かがあったほうがリズムが作れる。そんなことにやっと気付いた、学生最後のGWも終わった日曜日。
明朝起きられるかなぁ、、
らてふ
友人にLaTeXを紹介されて使ってみようと思ったのだが、それよりいいソフトがありそうで探してたら今まで曖昧にしていた言葉の定義が気になりだして結局こんな時間、、、

数式とか構造式書くならLaTeXは必須だと思うけど、これから自分が作る文書といえばおそらくサマリーと論文と発表原稿と自分用のメモと発表用スライドであることを考えると、発表用スライドだけはプロプライエタリなのを使うとしても(それでも同じクオリティのものをTeXから既存のマクロを使って書けるならそっちのほうが管理はしやすいが)、それ以外はいつの時代になっても開けるような、ユニバーサルな規格の、軽いテキストファイルのようなデータで管理したいもの。
というわけで、ユニバーサルな規格でサマリーと論文と発表原稿と自分用のメモあたりをいじるのにちょうどよさそうなエディタ・コンパイラを探しているのだけど。如何せんいろんな規格がありすぎ。

とりあえず行きついたところは「プログラムの関心の分離」という概念。つきつめると全ての要素(2次元の文書なら構造と見た目、とか。)を分離させるのが一番ユニバーサルで、管理しやすいと思うのだけれど、手続きが複雑すぎてそれだけで手一杯になる(一日中コマンドを書くことになりかねない)ので、それをどこまで妥協してまとめるか(どこまでコンパイルされたマクロを容認するか)が問題になるのでしょう。
さすがにXP捨ててDOSを使おうとは思わないしw

実用的な話に戻ると、結局紙に一番近くてデータ容量も少なくできるpdfが安全なのかなぁ?
とすると、pdfにコンパイルできてしまうファイルを生成できるエディタなら、使い勝手だけ考えて、あとはどれを選んでもいいのか、とかいう話になるのだけど。でも最低限WYSIWYG方式ではなくバッチ処理できるものを希望。

普段何気なく、買ったときから入ってたしみんなも使ってるからそれでいいやーと思ってWordとか使ってますけど、改めて自分の使う道具として、それがどこまで適正かを見てみるのもおもしろいかもですね。

結局結論は出ない(汗)けど、TeXは1977年からずっと使われ続けてるんだから、互換性という面でも相当優れてるんだろうなぁ。やっぱ導入してしまおうかなぁ。
どなたか文書についていい案があれば教えてください。
確認
一昨日から昨日にかけて、実家の荷物整理を。
捨てるものが山のように出ました。
昔の写真を見ていると、そこには悪い意味なんて出てこない。
思い出って美化されるんだなーと思いました。
結局これでよかったんだろうという結論。
そういうところからは何も生まれないし、そういうのは最小限でいい。なんとなく。

都内に戻ってきて友人と飯。
生きることのペースが話題でした。
中学高校時代に培われた(培われてしまった)ものの確認作業。
そしてそこから脱却して生きていく話。

右手第2指MP関節の疼痛+、腫脹±、発赤-。
ペンをもつことが多くなったから?

横道が多すぎてQB進まないYo。
D
最近SKY(スカイ)という言葉を初めて知りました。
Super(sugoi) KYのことらしいです。なんか発音が爽やかですね。潔いのは好き。

そういえばゴールデンウィークと名のつく休みに突入しました。木金は学校行かねばですが。しかも世の中の一部では先週からGWらしく、天気予報とかで「GWの後半の天気は」とか言われるとちょっとむっとします。てかゴールデンというほど休むわけでもないし。ポリクリはないけどさ。

三月に受けた模試の成績が届きました。臨床問題より一般問題の方が正答率圧倒的に高いってどういうことだろう?とりあえず大学受験の時のようにいい成績をとることを目的にするのではなく、やりたい勉強をやりつつ、危なくない程度の位置にいられればいいや。…なんて調子こいてると後で後悔しそうですが。。

数論の本を読んでて、公理系Dというのが出てきて、何かと思ったら下に注で「DはDOUDEMOIIまたはDemigroupのD」とあった。DOUDEMOIIがつぼったのでブログのタイトルに採用。

最近はベートーベンの交響曲5ばかり聴いてる。ラフマニノフも、プロコフィエフも、メトネルも、以前のようにはきかなくなった。ベートーベンかテレマン・クレプスの古典か、カプースチンとかの現代か。最近の録音は継ぎ接ぎでしかも音質も均一に調整されているらしい。だからミスもないのだけれど、やっぱ熱さが足りないのだよ、と思う。そういうこと言うならホールにききにいけばいいのだけれど、ね。行こうかなぁ
カルロスクライバーのWiener Philのを聴いてから、シェルヘンのRTSI Orchestraのを聴くとなんじゃこのありえん音はとか思うけど、Scherchenが振ってると感動する。芸術はちょっとおかしいくらいの方がいい。模範的に素晴らしいものはそのうち飽きる。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。