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えぐー
なんかこう、あれですね。
ってなんなんだろう。

…いや意味不明
なんかたまっていくものがありますね。
村上春樹が「回転木馬のデッドヒート」で言うところの「おり」のようなものでしょうか。

明日朝には新聞の原稿1つ、金曜日にはサマリーと緑カルテとPBLの資料を提出しなければです。今までサマリー書いてましたが、今回は呼吸器全般を勉強しようとした結果、担当症例の病態について詳しく勉強してなくて、結果えぐい。書いててわからないところだらけだって。新聞原稿これからだし、明日はカンファで遅くなるし、、えぐ。


そういやZARDをまとめてきいたことがなかったので、今更Lime○ireで落としてきいてみました。どれもいい曲ですね。にわかZARDファンになりそうだけど、すぐ冷めそう、、。
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BSC
青空が続きすぎて鬱になりかけてた頃に、ちょうど雨が降ってくれたので、テンション保たれてます、元気です
しかし傾眠傾向にあるのは困る。

今日は初めてカッパのイントラの練習でした。
テンション上げて巻き込む系が理想ですが、それは自分には無理なので、自分なりの色を出せるようにがんばります。

以下カルテ風に。。
やる気低下と傾眠をC/O(訴える)する班員が増えてます。自分も含め。内科疲れ・気候変動あたりがD/Dx(鑑別診断)ですが、やはり内科疲れのS/O(疑い)と思われます。病態機序としては、循環と呼吸両方とも重いのに、一週間ずつで予定詰まりすぎ、英語が中途半端に混ざるってところ。Asessment/Planですが、まぁどう足掻いてもあと2日!で終わりなので、とりあえずがんばります。。
Tx(治療):頓服はMintiaですが、今日耐性ができていることが判明したので、、次はMintiaパルス療法か、同じ系統薬剤のFriskに処方を変えてみようか検討中。それともBest Supportive Careに移行するか…

suicide
学校に報道陣がたくさんいました。
メディアの入口に鈴なりに集っていました。
向いてる方向はメディアと逆の霊安室でした
自殺ねー、、

自分で考え切った結果死ぬという手段を生きるのと同じように選択するならまだしも、生きているうちにどうにもならない矛盾がいっぱい溜まってきて、その結果追い立てられるように死ぬという手段を選んでしまうというのは、それこそ死んでも死にきれないのでは。と思いました。

つらい治療をいくらしてでも生きていたい人がいる反面、死んでしまいたいと思う人もいるんですね。人それぞれ。
週末期
ポリクリやってるとつくづく週末はいいなーと思うわけです。
でも多分、研修始まったら週末もほとんどないのでしょう、行く病院によるだろうけど。。

まずは洗濯3杯、掃除機 ここまでは最近の週末のルーチンです。

今日は午後に病院のN響コンサートの取材にかり出されました
フルートとハープで、患者と病院職員向けの選曲。
後半はなかなかの演奏でした。

その後、今日は天気がよかったので、こういう日に家の中にいると逆に鬱になるので、夕食がてら本でも読もうかと安部公房をぶら下げて四ッ谷までぶらーっと歩いたのだけど、なんかよさげな店がなかったので、そのまま結局堀沿いを飯田橋まで歩いて、当直明けの姉貴を呼び出して飯を食いました、てか食わせてもらいました。

今日は計画性ゼロでした。
翌檜。
high affinity
循環器終了
総じてhigh affinityな科でした。
心音は、自分のclassicの聴診器だと聞こえないのに、先生のをかしてもらうと聞こえたりしました。ほんとに。医者になったらcardiology以上のを買おうと思います
MSのptでは、心音図とると確かに典型的な所見なはずなのに、自分が聴くとなぜか拡張期逆流性とかしかきこえなくて萎えました、、マスターへの道は遠そう。
あと収縮期雑音でダイヤモンド型と俵型の区別は、言われないとわからないです。。日々の鍛錬あるのみなのか・・・
それとEKGは絶対読めるようになりたい。


今週末は久々に計画的に行動しようかな
風邪を治して、My Memoryを練習しよう。
明日は金曜日
今週初めて日が沈む前に帰れました
明日のレポートかいて、週末の下地を作ろうかと
循環のステップを一読する前に飽きたので、もう一冊買いました。

けそ氏の日記より。
「人生・恋愛 すべし 診断」
my結果は↓
http://seizo.inte.co.jp/beshi/r/?k=0705247man465560abea172
最適なペットは亀だそうです。
選ぶべき恋人は、すぐ泣く人 だそうです。泣かないでよ。
しかも6才年下だそうです。。

お暇ならここからどうぞ↓
http://seizo.inte.co.jp/beshi/
のるうぇー
循内にノルウェーからの留学生がきてます。
スケジュールがかぶってるときは講義が英語ですorz
クルズスは大体かぶってます。今日は病棟でも一緒でした
わからないわけではないのだけれど、理解度は若干落ちるし、日本語でやるより遅くなるから内容が薄くなるので微妙っちゃ微妙。。
明日自分の症例を彼らに紹介するらしいです、、
勉強にはなるけど マジッスカー

循環
循環器内科。
初PHS所持。
心音難しい、、MS+MRって。。
僧帽弁フリップも聞こえてるそうですがわかりません。。
なのでCDを借りてきました。
循環器(特に心音)の症候学って、まとまったものないのかなぁ

朝早いのは、朝の診察以降予定が詰まってるからそれほど苦痛ではないのだけれど、夕方遅くなるのがなー
ヤウしか食べる気にならないから身体によくない。


週末に友達と話して納得したのは、
自分に自信が持てればいいのではないか、ということ。
満足しているかどうか、とかよりも、自分はそれでいいんだと思えることが次につながる・・・
推測
母親を殺していて冷静な高校生がいるとのことですが。
死生観について極めてマイナーな意見をもっているのでは?

一番の問題は、この高校生の周りに、死について話し合う人がいなかったということなのでは、という感想。ひとりで考えていると、社会的に許されない極小値に議論が落ち込むことはよくあること。。

人を殺してはいけない、ということに関しては、誰もがこれしかない、という理由は今のところないのではなかろうか。そういう中で人が人を殺さないというのは極めて奇妙な偶然的な現象であると思うけれど、社会を社会たらしめている何らかの見えざる力が殺人を抑制していると考えてもいいのかな。物理的には何かのモデルに喩えられそうですが。なんて名前だっけ・・・?
適度な他人との交流によって社会性さえ保たれていれば、殺人は起こりにくいはず。むしろそれ以外の方法によって殺人や自殺を止めることは、原理的に不可能な気がします
青山
南青山のカフェバーのようなところで友達と飲んできました。
夜の外苑はなんとなく好きです。
肌寒いですのう。

差し当たり明日から再び病棟に行けることが生き甲斐のようです。
いろんな人と話すことの重要性を今更ながら感じています。
あと自己肯定は最大の武器になりうるのか、と。

明日からまたがんばろーー
三田
用事があって三田キャンパスに行った。
カフェにはいったら、真っ赤なリクライニングの椅子があった。
キャンパスにカフェがあるだけで違和感なのに、めちゃくちゃきれいだし、コーヒー安いし。
中学受験以来10年ぶりに見る中等部の校舎のベランダでは、中学生が走っていた。
その後メディアに行った。スゴス
いかにも青春を謳歌するための設備。いいな~~

その後ピアノのレッスン。
相当ひどかった・・・・がんばらねば、、、

掃除洗濯しーよー
すり下ろし
すり下ろし、と聞くと
すりりんごと角切りリンゴのCM(最後のシーンで青リンゴと赤リンゴが頭をすりあわせてる)を思い出す今日この頃です。


昔からよく、人にしたことは自分に返ってくる と聞きます。小学校の道徳の時間とかにもよくでてきましたよね。単なる格言だと思っていたこの言葉ですが、最近身に滲みます。 自分がしてきたことなんて星の数ほどあるし、また自分がされることも同様であることを考えれば、あとはそれを如何に意識するかというところにかかるのでしょう。

自分が変わった後に、自分が変わる前の状態にある人にいろいろされると、そう感じるってことです。

過去の自分の経験してきたことというのは想い出になります。苦いのからしょっぱいのまでいろんなのがありますが、形式はどんなであれ自分の納得いくように考えている時期の想い出には、味とか色はないように思われます。飲み込めた食べ物にはもう味を感じないのと同じように。
感情というのは、経験と、それに後程(時間を要さないこともあるが)付随される言語説明の摺り合わせからすり下ろされてでてくるものなのでしょう。(そういう意味で、理不尽に自分を縛っているのは、うまく考えられないような時期の体験なのかも知れませんね。幼少期の体験なんていうのは、まさにその典型でしょう。)


すりりんごのCMはもう古いんですかね?CMが記憶にある割に、結局一度も口にしなかった。CMを見ていた大学一年という時期的に、うまく自分の状況に納得できていなかった想い出からすると、すりりんごの品種は"ふじ"とか"王林"ではなく、間違いなく紅玉の酸っぱい類だろう。
連弾
今日ちょっと練習しました。おもしろい~~w
自分は拍をとるのと初見が苦手、ってことはピアノ弾くのが苦手ってことなのかって話ですがw、連弾では拍が共通言語なのでがんばらなくては。。
人と合わせるのは小学校以来とかなので、ぶっちゃけ初めての感覚ですー 結構はまりそう。合わせてくれる心優しい人がいれば、の話だけどw
がんばるぞーー
かめ市
<かめ市>

人口 【総人口】277,690人 【世帯数】111,076
   【男性】135,430人 【女性】142,260人 

・各種データ
面積751平方km / 人口密度369人/平方km
市民の平均所得640万円 / 昨年出生数3,786人 死亡数2,170人
平均寿命82.1歳 / 失業率4.8% / 名産品かめゼリー
市の花ユリ
市の鳥サギ
1日の救急車出動数80回 / 下水道普及率77.5%
発生事件ベスト3近隣トラブル 絵画泥棒 給料未払い

・住民の声
発電所42個は多すぎじゃ・・・(45歳 ナレーター)
夕方がきれいです(42歳 獣医師)
見晴らしがとても良いです(35歳 新聞配達員)

・かめ音頭
あの海あのイスあの公園 ソイ
天下一のぐうたらシティ
講師とモデルが何かを競う ドシタ
すっとんきょうが多い街
グイグイグググイ
市民の多くはバトン工場
グイグイグググイ
川はええよ~素敵だぜ~
チョッと投げりゃかめ音頭
チョッと切り裂きゃかめ音頭


<かめ高校>

校訓 挑戦・手相・豊満
生徒数 男子461名 女子21名 計482名
データ 偏差値53
<出身者職業ベスト3> ゲームクリエイター・歯科医師・宇宙飛行士
<主な留学先> スイス・オーストリア・ルクセンブルグ

・進路 <昨年度>
大学進学率26.8% 就職率64.9%
大学129名(四年制0名 短期129名)
専修・各種学校5名
民間就職80名 公務員233名 家事・その他35名

・校歌
成人病ですこれからも 水気を帯びた柔道着 
切々と「小指」が好きだと師に叫ぶ おきゃんな教師に刺激を受けて 
違和感をぶち壊せ 法律ぎりぎりスケスケ制服 
ああ かめ高生 別荘と反省の申し子よ 



たかえ氏のところで見つけたので貼りますた
http://maker.usoko.net/city/
最近記事が殺伐としてたし、こんなのも和んでいいですねー
Game
今日は久々にゲームやったです
TT氏と2種類、結局3種類やって、どれもかるーく負けましたww
マインスイーパーで言えば1クリック目にして爆弾をクリックしたような
相手がいろんな意味で強かったw ゲームは腹腔鏡の成功率を確実に上げるらしいので、外科とかいくならまたやりましょう

QB(question bank)とyear noteが届きました。国試対策本です。持ち帰るだけで軽く筋トレ
お友達でいるのは2年間だけと決めましたw
year noteは論文集と合わせると枕にすらできないくらい分厚いw

無駄に笑いたくなる今日この頃ですが、明日からまた理不尽に耐えるべく反省しつつがんばります。
うーん、、
神内勉強できてない
やばい、、、

自分ひとりで考えるときに使う言葉たちを使って他人と議論したのは久々でした。しかも極めて社交的な友人と。もっと多くの人と意見交換したい。とりあえず方向性を変えるにしても変えないにしても、納得したい。
一つ自分に対して確認しておきたいことは、今の自分の概要の多くは、社会生活において感じてきた理不尽を受け入れる方向で動いた結果であるということ。だから何だ、という話だけどね。
そして、失望することには慣れていても、失望されることには慣れていないことに気付きました。なんかなー、、
調和の内容
考え続けていれば大丈夫、というのは一通りの事実とよべるようなものだ。後悔しない為には、考え続けていればいい。これは当たり前の話で、後悔自体が考えた結果出てくるものだから、後悔しないように考え続ければ、その延長上にある後悔というのは論理的に避けることは充分可能なのである。だからこそ、考え続けるというのは、性格的に保険的なものである。保険的というべき生き方においてはそれは通用するが、そうでない場合には通用しない。flexibilityは極めて低く、ある広い範囲の行動には向かない。
ウィトゲンシュタインは言葉とその用法に全てを見出したと思うのだが、僕の感覚から言うと言葉には限界があると思う。サンテグジュペリも、そう書いている。
考えることは言語を用いることと比較的同値だから、考えること自体には限界があるのか。考えることと考え続けることは行動の性格が違うから、先ほど冒頭で述べた考え続けるというのはまた違った話になるが。

僕の基本的な考え方では、可能なものは可能だとしてやればいいし、無理なものは無理なものとして、そのように表現するしかない。安部公房も多分似たようなことを言っている。ものごとはそういう性質のもので、仕方のないもの。と、このように考える自分は社会的自分に言い聞かせるのだが、現実を目の前にすると、そんなのでいいのかよ、と思う。そしてそんなのではやっぱり嫌だ、と思った瞬間、"黙って答えが出るまで考え続ける"という方針の鎧を保険適応で処方する。それを原則として数年間やってきて、得られたものも、失ったものは当然のように多い。自分は経験したものの数だけ得て、そして失っている。
そうはいっても、資本主義の競争社会において(プラトニックな恋愛だって考えようによっては資本主義の競争だ)、勝利を得る為には、保険なんて使っている場合ではないのだ、という声が聞こえてくる。まぁでもそれはあくまで、自分が資本主義の競争社会的性格を持っているならば、の話なのだ。(資本主義の競争社会的性格が自分にある、というのがどういう状態なのかよくわからないで言っている時点で、自分は自分に対してちょっと卑怯なのかも知れない?)

僕の周りには、考え続けるだけの人は、あまり見ない。多分そういう人々は社会に出てこないのだろう。僕は僕のこだわりがあって、人が考えないような所謂"当たり前な"ことを考えることがあるのだが、そこを深く考えずに行動する人というのは、僕の周りに少なくとも存在する。そして彼(彼女)らは、僕の得たことのないものを得て、失ったことのないものを失っている。僕はたまに、それが羨ましくなる。それなりに(無駄に当たり前のことを)考え続けていれば、隣の花が赤い、と思える瞬間はいつだって、腐るほどある。そして、じゃあ僕もできるかな、と思って"考え続ける"保険を一寸斬り捨ててみようか、と考えてシミュレートしたとき気付くのは、
自分は、自分を自分に表現する為の稚拙な言葉以外には、殆ど何も知らないということ。僕はそれに対してどういう感想を持ったらいいのかわからない。只そういう現実が目の前にあるだけ。そうして僕は一瞬茫然として、次の瞬間ひたすら目の前の地面を踏みしめるしかないのです。歩行に集中し、特徴のない砂漠の上を歩いていく。水とか食糧とか他に必要なものはあるかもしれないが、それは無いなら無いという性格のもの。それらが必要のない生物だって沢山いるし、そもそも自分は所謂生物みたいに何かを必要とする存在でなくても存在しうる。と、こういうのは考える自分に陶酔してしまった結果なのでしょうか。そういう批判が為されることは多くて、確かに言われてみればそんな風に考える必然性なんて何もないのです。けど逆に言うと、そのように考えない必然性すらないのです。基より言語を他人に理解可能な形で使用した段階で、必然性が言語それ自体によって生み出されているという点、そして何より僕にとって、必然性は人生においてどれだけ重要なものかは評価説明不能だという点からすると、これは他人にはもとより自分に対しても卑怯な議論なのかも知れないですね。

さらに調子に乗って、馬鹿さ加減と知らぬうちの自分に卑怯な精神を丸出しにするなら、もしも、ちょっとしたきっかけで必要かなと思うものが手にはいるかもしれないのなら、それは非常に嬉しいしこの世の幸福かもしれないが、それを入手するために南船北馬するだけの能力と体力とセンスは、絞り出してもたかが知れている。まぁせめて能力体力センスを磨く努力は、完全には放棄しませんが。

そう馬鹿のように考えると、僕が胸を張ってできる唯一のことは、思った馬鹿なことを適当に口にしながら、目の前の地面を踏みしめ続けることだけなのかもしれません。

自分にはそんな馬鹿で不十分で卑怯で、自分でもどうしようもない部分があることを踏まえつつ、なんとかうまく馬鹿でないように生きていければと思いました。我ながら虫がいい。。が、根本がグズグズの上に見てくれの悪くない家を建てようとするなら、こうするしかないのです。できたそれなりに満足できそうな家に住みながら、土台を直したっていいでしょう。そんな土台にまともな家が建つのか、と言われればそれは結果論としか言いようがないから何ともなのだけれど、時間はどんどん経っていくし、考えは行動によっても変化するという理論を駆使して言い訳すれば、この選択は正当化されると思います。同じ土台に立てるなら、差し当たり悪い家を建てるよりは、良い家を建てて住んで土台を修理した方がベターでしょう。まぁ本当のことを言えば、時間が経つのなんて、時間とは何かについて読んだり考えたりしていれば、本当にどうでもいいことなのですけど。本当のことと現実のことにちょっとズレがある点が自分の社会性を維持しているので、ここでは悪いことは言わないでおきましょう。。それでいいのか


そして最後に、
多分、問題の本質を一言で表すなら、ちょっと飛びますが、感覚的には "無知の知" と "できる限りの知" はどちらがいいのか? ということなのではないでしょうか。
調和
末端の質とか量はともあれ、中枢の構造をいじれるのは実に面白い。
それができるようになるためには、誰よりも多くの末端を知らなければですが。そして、してやったりとニヤリと笑えるのは、中枢を人にはできないような方法で弄ることのできた瞬間。
笑いにはいろいろありますが、個人的に、ニヤリとするのは好きですw

自分は自分が調和していない分、周囲の予定調和が好きです。
そして、調和するかわからないものを取り込む必要に迫られたとき、それ以外の部分は大体において調和していないと、取り入れ過程もしくは取り入れ後にうまくいく確率は著しく低くなる。だから、状況に応じて無理矢理にでも自分を調和させる技術を向上させよう。末梢的には音楽とか本とか。目指すは、何かあってもそれが人や行動に影響を及ぼさないような精神構造上のrobustnessの獲得。

星の王子様を読んだら少し元気が出た。
強くなりたいー
今の自分と数年前の自分はだいぶ違うようです、傍から見ても。
そしてその変化は多くの人に比べて逆行してるようです、聞いた感じ。
でも仕方ない、ですよね。

そして、仕方がないよ、というのは実に便利な言葉ですよね。
全てを状況に対して投げ出せる意味で
その部分で楽して生きられる分だけ、他である程度苦しんで生きるのでしょう。
サン=テグジュペリの星の王子様に若干迎合の気質を加えたVr.で。
熊った
kappa楽しかったです、勉強になりました。

やりたいことが多すぎて困る。
数年先のことを考えるか、
数ヶ月後のことを考えるか。

いろいろと考えるだけで、
時間はなんとなく過ぎ去っていくようです。
階段は一段ずつ登らないとです。
うーむ。。
新歓
今日は診察して一週間分のカルテを一気に清書してまたーりして、そのあと新歓でしたー
一次会も二次会も楽しかったですー
一年生はいろんな可能性があっていいですねー

明日はKAPPA。。メジャー講習は初めてなのでいかねばです。
日曜も軽く用事があるので明日くらい神内の勉強したいとも思うのだけれど、仕方なすか・・・。
がんばろっと☆
早起き
珍しく朝早く起きられました。
今日は眠い一日になりそう。
しかも雨だってさーー、いややなー
てか4時ちょっと過ぎるともう明るくなってくるんですねっ
ラジオのJ-WAVEでクラシックが流れてます。めずらし~
GWのあの時間を引き延ばす旅に出ようと決意した朝☆

今日もポリクリがんばろうーーっと
睡魔
眠い。
何時間寝ても~
メディアに勉強しにいくと、すぐに傾眠。家に帰って勉強しようとしても傾眠。朝早く起きようとしても傾眠。。そして発表者の声がよく聞こえないカンファの時に限って目冴えてるし。意味無いからー

日中の眠気はGH分泌周期に支配されるとかいう話があったと思うのだが、分泌おかしいのかな?たしか10分おきくらいにsurgeがあるんでしたっけ・・・・


今日は面白い組み合わせのメンツで夕飯を食いました。
それぞれ違う方向に話の才能のある人々が集まって、やたら盛り上がったw


帰ったら三枚買うと一枚もらえる東芝EMIのCDが届いてました。
初・バルトークで、ピアコン2。 プロコと同じで意外にはまりそう!!
あと今日ピアノのサークル友と話していて、今度ガーシュウィンをきいてみようと思いました。


明日もがんばるぞーー
そしてこれから明日のレポートかかねばぁーー・・・・
心外(心臓外科ではない)
実家にオレオレ詐欺の電話がかかってきたらしいっすー
被害はなかったからよかったのだけれど、なんとも、。
傍から聞くとへーってかんじかもしれないし、自分もそうだったけど、実際自分が出汁にされるとやっぱ心外。(心臓外科ではない)

194万円をサラ金から借りた設定だったらしいのだが、奴らはその金で何をするつもりだったのかな。想像もつかないけど、とりあえずそういう人々の顔を見たら踏みつぶしてやりたいと思いました。あーでもその前にどういう考え方をしてるのか話はきいてみたいなー。


さて気を取り直して。
ポリクリは神経内科です
先生方はすごくよく指導して下さるので、やり甲斐Max!
休み明けにはつらいけどがんばるぞーー
GW総括
寝過ぎて頭が痛い。アイスクリームを急激に摂取したときの痛みが、頭全体にぼんやりと渦巻いてる感じ。一昨日昨日と12時間、今日は8時間。何かの清算でもしてるんだろうか。そういえば半泣きになりながら電話で謝る夢をみたな。。後味悪い目覚め。

そろそろ勉強しなくてはーと思う。ポリクリ回ってて何もわからないと、それはそれで気分が悪い。

このGWは大きな出来事は何もなかったという感想。
楽しかったことは一週間のうち一時間くらいか、、

あとそうだ、机の位置を90°変えたらやたら居心地がよくなったのは大きなGWの収穫だった。
めも
例えば多くの人がニュースを見るのは、自分が生きていることを確認するためだという。
それはニュースの語尾に「それでも自分は生きている」をつければ、その文が納得可能な範疇であるからとのこと。たしかにそうかもしれない、と思う。それでも、自分が意味を考えずにやっていた行為を冷静に分析されると、ちょっと悔しい気分になるのは何故だろうか。


ともあれ懐疑主義者にとって、結論が見えていない議論において、何かに意味を見出す発想は、実質的ではあるが本質的に無意味であると思う。


最近、何も考えずに生きることを想起している。

先走ったことを言えば、もしこれが納得可能な次元で実現できたらいいなーと思う。そしたら人生バラ色、うほほーいってかんじになれるな。


何かを考えはじめると、その終わりには必ず自分があって、生がある。そしてそれと同じくらいの距離に死がある。
死をコントロールするために未遂に終わるような自殺未遂をして、毒薬を入手しておく人々がいるそうな。少しだけそういう人々の気持ちが納得可能になってきて、その点若干滅入る。
描写
安部公房を読みました

高校時代と大学一年くらいの時に「砂の女」を読んで、何が言いたいのか全くわからなくて、以後有名だけど倦厭していた作家でしたが
今日「カンガルー・ノート」を読んだら、すっと入ってきた。
一口に言ってしまうと彼は、自己の内面の感覚にアプローチする能力に劇的に優れた作家なのだと思う。

 僕は邦楽の歌詞というのはあまり好きではない。掃いて捨てるほどあるから好きでないというわけではなく、掃いて捨てるほどある原因が好
きではない。あれらは対象のほんの一部だけ切り取って、それで完結させている。(哲学も対象の一部を切り取って詳細に論じることがあるが、それは論理さえ一貫していれば他の描写も容認する学際性を有している。)平易な言葉で対象を語るうちに曲は終わってしまって、それ以外の世界を容認しない、狭い世界観を感じる。科学は僕にとってあまり好きな考え方ではないが、その科学が容認する普遍性すら、その言葉の中には存在しないのだ。(科学は普遍性を獲得する代わりに理想化を行うから、感覚にそぐわない。科学は"自分が見えている"ことがどういうことか、神経伝達路を説明しうるが、その感覚の実体を説明し得ない。だから僕はあまり好きではない。)現実の世界というのはもっと多様であり、もっと豊かに描写されていい。描写されずに時間が経っていくのは、もどかしくて仕方ないのである。もっとも普遍性であるとか描写可能性を邦楽に求めるのはお門違いという意見が大多数であろうが。僕自身も邦楽の楽しみ方を知らないわけではないし、人の声がもたらす描写能力に関して限界を述べているわけでもない。ただ歌詞というものが、描写能力に関して有限性を有することへの無力感を述べたかったまでのことです。
 そう言う意味で、音楽の中でも言葉を用いないクラシックというのは比較的優れた描写能力を持ちうると思う。少なくとも持つのではないかという幻想は持つに充分である。もっとも描写という意味では作曲家と演奏者の手腕にかかるわけだが。作曲はともかく演奏したことのある人なら、演奏中の、あの曲想に意識全体が埋もれていく感覚というのは、無限の対象の描写可能性を秘めていると直感するのではなかろうか。非言語性の表現はその可能性が開かれているように感じられます。理論性とか普遍性はないから、応用可能性は少なそうだけど。

 軽くまとめてしまうと、冷静に並べた言葉というのは、本当に伝えたいことを伝えるにあたって使い勝手が難しいものだ、ということですね。

と、稚拙な描写能力で直感した対象の一部を書いてみたっす。

莫迦らしい比喩を使うと、魚の生体観察をしたいときに
僕の描写は、魚屋に行って切り身を見るようなもので、一方安部公房の描写は水族館の360度の展望水槽に行くようなものですね。彼の言葉を扱う能力には描写の限界を感じさせないものがありました。
整理
また中島義道の
今度は「私が嫌いな10の言葉」を
読みました。

読んでいて思うところはいろいろあるけれど、総じて感想を述べるなら、涙が出るほど嬉しかった。
自分に少し似たところのある感受性の人が居て、少しだけ同じような部分のあると思われる苦しみを味わっていて、それでも強く生きているんだ、という安心感が得られる。とはいえこの安心感は欺瞞的なものであって、すぐにかなぐり捨てなければならないのだが。それでも一時的な精神の拠り所として機能していて、ありがたい限り。是非みなさんも彼の著作を読むといいんじゃないでしょうか。決して全部がいいと言えるわけではないけれど、彼のような視点を持つ(人がいることを知る)ことは、少しは人生の役に立つのではないかと思います。

しばらくは、今の状況の根本的解決は期待できないと思う。日本の社会は暫くはその性質を変えることはないだろうし、自分は今までと同じように、何事もなかったかのように振る舞って生きていかなくてはいけない。そうでないと医学部は卒業できないし、将来病院に勤めることもできない。
根本的には、自分の考え方をまとめ直して再構築できる部分を再構築しない限り、抜け出せない。それにはおそらく、更なる経験と時間と読書を要する。この偏狭な日本社会にずぶずぶ埋もれて生きていくには、これからも相当の辛い努力を強要されそうです。

そしてその副産物として、音楽と読書にはさらに深くはまっていくことになるのだろうけれど、それが豊かな生活だといわれるところがまた、皮肉なものだとも思います。たしかにmaorityの感受性を持っていて、持っていなくてもそれに慣れ親しんで、それに疑問の片鱗も見出さない人々(そして往々にしてそういう人々は、そういう疑問を提出するといろいろな理由をつけて取りあわない、らしい。)にとってみれば、苦しむ理由はわからないだろうし、それはそれで別にまったく自分の意に介さないところではあるのだが。まぁ確かに、そういうのって豊かっちゃあ豊かなのかもしれないけれど、ね。


話変。

今日は姉貴の初給料で、銀座で飯を食いました。
養われている気がしましたw ヒモだ~~w

あとMedtnerのComplete RecordingsのCDの残り2枚を買いました。
Medtnerには去年の六月くらいにはまっていて、またこの精神状態の時にはまるということは、比較的鬱状態の時に親和性が高まるようです。
彼の曲はそんな暗い感じじゃないんだけど、社会の不条理とか理不尽さをうまく表現している気がする。暖かい民族的なアルペジオの上にふっと現れる冷徹な旋律が、今自分が悩んでいる部分とシンクロするのかも知れない、と思ったり。
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